だいぶ間が空いてしまいましたが。。、
先月の5月に、たんぽぽが4歳の誕生日を迎えました。
だから、たんぽぽが生まれたときのお話をしたいって思って書いていたんですけどね、
そのつづきをお話したいと思います。

前編を知らない方、お時間があればぜひこちらもどうぞ。
たんぽぽが生まれた日*前編 たんぽぽが生まれた日*後編1 
そうして、
病院に保護されていたたんぽぽを引きとり、
一緒に暮らし始めて
どんどん元気に回復していったたんぽぽでした。

このままどんどん、すくすくと、大きくなって、
楽しい時間をいっぱいいっぱい一緒に、作ってゆけると思っていた
その夏です。
なんだかたんぽぽが、元気がないんです。
ずっとお部屋でぐたーっとしてるし、食欲もない。
猫1年生だったわたしは、「あぁ、猫でも、夏バテってするんだー」
なんて、ちょっとほほえましくさえ見ていたんですけど、
それがあまりに続いたので、病院に連れて行きました。
それで薬をもらってしばらく様子を見ていたけれど、いっこうによくならなくって。。、
今度はしっかりと、血液検査などをしてもらいました。
そうしたら
ウイルス性の、重い病気にかかっていることがわかりました。
たんぽぽが、あの庭で、くるくると旋回行動をしていたり、
首が傾いたり動きがおかしくなっていたのは、
たんぽぽの場合、そのウイルスが脳にまわって炎症を起こしていたせいだったのです。
もうすっかりよくなったと思い込んでいたけど、
病院に保護されたときの治療で一時的にウイルスがおさまっていただけで、本当はずっと潜伏していて
それが今、発症したんだっていうことが、わかりました。
それから
この病気の致死率は90%以上、
ほとんど望みがないと、言われました。
「この病気にかかった猫は、どんどん食べられなくなって、弱っていって、最後には死んでしまいます。」
先生が病気のことを説明している目の前で、気が付いたらぽろぽろと泣いていました。
だってついさっきこの診察室に入るまでは、重度の夏バテくらいにしか思っていなかったんです。
それからもうずっと、
医学的に言う、その数字が、ぐるぐるぐるぐる頭を駆け巡りました。
のら猫のような、ウイルスに感染しやすい環境の子に多く、
3歳くらいまでの子猫が、胃や脳などに発症するという病気でした。
克服した人がいるんじゃ。。って調べてみても、
希望を持てるようなものには、出会えませんでした。
そして本当に、どんどん、たんぽぽは食べることを拒むようになっていきました。
みるみる、歩き方もおかしくなっていきました。
よたよたと旋回をして、首も大きく傾いて、まっずぐ歩けないどころか、そのうち歩こうとすると手足がからんだりしてしまうんです。
ひどいときには、2,3歩でぱたっと倒れてしまうくらいに。。
それでも、
どんなにちょっとでも食べることさえ続けていれば、
たとえ動けなくなったって、死ぬことはない、大丈夫。。って、
そうどこかで必死に言い聞かせていたから
食事の時間は、ほんとうにつらかった。
かたくなに閉じようとするたんぽぽの口をこじ開けて、キャットフード1粒をねじ込む。
やっとの思いで口に入れたら、噛もうとせずにぽろっと口から出してしまう。。
この一粒、もう一粒、食べてくれるだけでいいのに。。!って
元気ないくせに、ものすごい力で食べることを拒むたんぽぽに、そのうち腹まで立ってきて
その一方では、たんぽぽに力づくで向かっている自分にもすごい嫌悪を感じてくる。
歯がゆくて、悲しくて、かわいそうで。。
もうそんな、なんともいえない気持ちの渦のなか、たんぽぽと格闘しながら
30分かけてやっとキャットフード5粒食べさせる。
そんなふうになっていきました。
そうしてどんどん
見るにも耐えないくらい、たんぽぽはやせ細っていきました。
病院に通い、いろんな薬を処方してもらったり、
あまりにひどくなったときには、脳に注射をするというような施術も受けました。
すると、少しよくなったのです。
もしかしてこのまま治っていくかもしれない。。!
そう喜びかけたころ、
また一週間もすれば、徐々に調子が悪くなっていって、もとどおり。。
そんなことの繰り返しが、何度か続きました。
「やっぱり、この病気にかかってしまうと、薬や注射で一時的にはよくなっても、確実に弱っていくんです。
だから、この先もこうやって、薬漬けにしながらどんどん食べられなくなっていく姿を見ていくのなら、
楽に死なせてあげるという方法も、あるんですよ。」
先生は、優しい声で、言いました。
このままどんどん、もっとやせ細って、いつか絶えてゆくたんぽぽを想像すると
もう、ぞっとしました。
それでも
どんなに自分勝手でも、安楽死なんてとても考えられませんでした。
そうしてある夜、
塾から帰ってくると、たんぽぽが今にも死んでしまいそうな息で、ぐったりと横たわっているんです。
反応も、ほとんどない。
どんなになでてもなでても、いつもの「ぐるぐる」さえ言ってくれない。
怖くて怖くて、でももうとにかく
緊急のためにと控えておいた夜間の救急動物病院に電話をしました。
そして、病名と症状を伝えたとたん、
「たぶん、そういう子は、今からなにをしても、ほとんど無理ですよ。手の施しようがないと思います。」
と、返されました。
その電話を切ったあと、わたしは、
もう閉まってしまっているいつもの病院の留守電に向かって
「たんぽぽが、緊急なんです。」
先生に、訴えました。
朝になるまで病院は開かない。
なんの意味もないかもしれないけど、
もうそこにしか、すがるものが見つからなかったから。
瀕死のたんぽぽを直視することも出来なくて、夜ごはんに作っておいたオムライスも、震えてのどを通らなくて、
そうやって、何も出来ないまま、果てしなく心細い時間を
とてつもなく長く感じられるような時間を
どれほどか過ごしてたころ
とつぜん、
病院の先生から、電話がかかってきたんです。
「今すぐ連れて来てください。」
午前1時か2時だったと思います。
もう、真っ暗闇のなかから、あったかい光のほうへ救い出されたような気持ちで
すぐに走ってたんぽぽを病院に連れて行きました。
診察台にのせられたたんぽぽの、もう骨しかないような腕に点滴の針がさされて、そこからじわりと少し血がにじんだとき、
なんともいえない気持ちになったのを覚えています。
動かないたんぽぽを見つめながら、先生が言いました。
「もしこのまま状態が良くならなかったら、早く楽にしてあげることも、ほんとうに考えないといけないかもしれないですね。。」
そうしてたんぽぽはそのまま、緊急入院することになりました。
それからわたしは毎日、
たんぽぽの様子を見に病院に行きました。
はじめはもう、毎日泣いてしまってたんです。というか、
洗い物してるとき、車運転してるとき、ふっと
「もしこのままよくならなかったら。。」って想像が走っていって、
ぶわーっと勝手に涙があふれてきてしまうんです。
でも、あるときから、
わたしが泣いてたら、たんぽぽががんばれないって、
思うようになりました。
わたしにできることは、
たんぽぽに力を送ることと、祈ることだけって。
そのためには、わたしが強くいなくちゃいけない。
たんぽぽのお母さんは、もうわたしなんだから。
それからわたしは泣くかわりに、
毎日 外に出て空に向かって、祈りました。
お部屋の中でも、祈りました。
何度もお祈りをしました。
家族や大切な人が元気でいてくれること、これからは毎日ちゃんと感謝します。
だからどうか、おねがいです。たんぽぽを守ってください。 って
それから、
いてもたってもいられなくて、
夜、閉まっている病院の前まで行って、たんぽぽに力と想いを送りました。
「大丈夫だよ。わたしここにいるからね。がんばるんだよ。」って。
猫だって人間だって、さみしいと、闘えないから。
そうやって病院に通い続けていたある日、
看護婦さんがわたしに言うんです。
「昨日まりこさんが帰ったあと、たんぽぽちゃん、しばらくないてたんですよ。」って。
声も出なくなってたはずのたんぽぽが。
さらに、ほとんど動かなかった手足を、自分でよく動かすようにもなってきていたんです。
先生からしたら、
あの状態から「上向き」になっていってること自体が、
もうありえないくらいのことだったようで。。
もちろんまだ寝たきりだったけれど、
そういう小さなひとつひとつを、ゆっくりと越えて
ほんとに信じられないことに
たんぽぽは、確実に、快方に向かっていったんです。
それは、もう、奇跡でした。
「たんぽぽちゃんの生命力は、すごいですよ。」
先生が、たんぽぽのことを、そうほめてくれました。
「ただ、生きられても、歩くことは一生むずかしいと思いますね。。」
退院が決まったとき、そうも言われたけれど、
そんなこと何の問題にもならないくらいに、
生きていてくれるならもうそれだけで、わたしには十分でした。
そして、退院することができました。
おかえり、たんたん。

まだ点滴の跡が、ちょっと痛々しいね。。
それからは毎日、
注射器で流動食をたんぽぽの口から流し入れたり
決められた時間に決められた量、薬をのませたり
それから先生に教わった通り、たんぽぽの手足を持って前後に動かすなどのリハビリを続けました。

たまお母さんも、心配そうに、たんぽぽを励ましています。

いつもどこかに、また戻ってしまうかもしれない。。という不安があったけれど、
毎日あのお祈りを続けながら、
「今日も大丈夫だった」「今日も良かった。。」
そうやって1日1日を重ねていきました。
どんなたんぽぽも残しておきたくて、
ちょっとないたり、よく動いたりしただけで、
写真やビデオを必死にまわしたりもして。。
そのときのどれもが、今見返すとあまりに痛々しくて、
ここで載せるには気が引けてしまうようなものばかりなんですけどね、
それでもそのときは、ひとつ、ひとつが、
たんぽぽの生きてる大事な証で。
でも、
そんなわたしの不安を、やさしい手が削いでいくように
一週間、2週間、3週間。。と、
たんぽぽは、ゆっくりと着実に、回復を続けていってくれたのです。
そうして、
寝たきりだったたんぽぽが、半分身を起こせるようになり
そのうち立てるようになって、
「たぶん一生歩けないでしょう」と言われていたはずなのに、
退院後1~2カ月後くらいには
1歩2歩。。、歩けるようになっていったんです。

それから、3年以上がたった今、
こんな首の傾きもほとんどなくなって、
ふつうの猫と同じだけの身体能力はないにしても、
ふつうに走り回ったり、ジャンプしたりも、できているんですよ。
しかも、まだまだ進化中なのです。
「あれ?そんなとこ、いつの間にのぼれるようになったの!?」って。
命のことだから、何も確実なんてことはない。だけど、
「ここまでこれたら、もう大丈夫でしょう。」
先生にそう言ってもらえるようになって、もうずいぶんになります。
「ほんとに、
この病気で治った子を、正直見たことがなかったですからね。
だからこうして元気でいる姿を見ると、ほんとにうれしいです。。」
今でも、たんぽぽを連れて行くと、優しく笑いながらそう言ってくれる先生です。
この病気の厳しさを知っていながら、わたしと同じように望みをかけて最後まで手を尽くしてくださった先生に、心から感謝しています。
そしてこの先生は、すこしだけイケメンです。
いえ、ヒーローだから、イケメンに見えてきたんでしょうか。。
いえいえ、イケメンじゃなくても、心から感謝しているんです。
そしてそして、
わたしはこのときから毎日、
夜、お祈りをしてから寝るのが日課になりました。
眠そうなたんぽぽの頭を激しく「さすさす」しながら。(笑)
今日も一日、家族や大切な人の命を守っていてくださって、ありがとうございました。
明日も一日どうか、見守っていてください。
なんの宗教の信者でもないけれど
大切な人が、今日もそこにいてくれるということの、
あたりまえじゃないしあわせを、心で感謝して
1日1日を生きていくこと。
それは、
たんぽぽを守ってくださいと祈ったあのときの空に、約束をしたことだから。
あ、でも、ときどきお酒を飲んで寝てしまって、次の日の夜、
「昨日も今日も、」って出だしから入るときもあるんですけどね(笑)
だから、たんぽぽは奇跡の子なんです。
あたりまえな顔して、寝たり食べたり走ったり、
けんかしたりぎゅうーっとしたりしているけど、
わたしはそのあたりまえの重みを、忘れちゃいけないって思うんです。
たんたん、4歳の誕生日、おめでとう。

ほんとに、そこにいてくれるだけで、うれしいんだ。

たんぽぽ。
生きていてくれて、ありがとう。
これからも元気で、
ずっと一緒にいてね。

今のたんぽぽのたんぽぽっぷりは、
たんぽぽが綴っている 「たんぽぽ日記(①~⑥)」で、見てもらえます。

たんぽぽの、「みりょく、たっぷりにゃ

」
そういうのは、自分で言わないんだよ、たんたん。
これからも、
楽しいたんぽぽ日記、見てもらえたらうれしいです。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。にゃ

まりこうた と たんぽぽ

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